ニートでもわかる! うつ病の基礎知識

子供達の長期休みも終わり、新作の住む自宅へ戻る。

毎日が苦痛でしかたなかった。

離婚って、簡単に言うけど、子供達はどうするんだ。4人もいる。一人で育てて行く自信なんてない。子供には両親が必要じゃないか。家はどうするんだ。
そんな事を休む間も無く考えていた。

相変わらず、新作は無言。

何か話しかけても、まるで赤の他人と話しているかの様な受け答えをされ、私は先の事が何も考えられなくなった。

今あるのは絶望のみ。

なぜこんな見捨てられ方をするのか…

考えれば考えるほど辛くなり、死ぬ事で楽になりたいと思った。

苦しくない、痛くない死に方をネットで調べた。

首吊りが王道だと知る。

でも、その時、うちにはロープはない。

あるのはビニール紐くらい。

それを脱衣所のとってにひっかけ…

『ドカッ』
ビニール紐は私の体重によって伸びきり、ちぎれた。

新作は、リビングで、普通にテレビを見ていた。

そのまま家を飛び出し、

崖から飛び降りるという方法が頭をよぎる。

いざ、崖を前にすると、嗚咽が止まらなくなった。
簡単には、死ねない。
心はとっくに死んだのに、私の身体は頑丈だった。
数日後、子供の誕生日のお祝いをする事になっていた。

最低な私は、お祝いどころではなく、むしろ苦痛に感じてしまっていた。
そんな時に、新作と言い争いを始めてしまった。

もう、こんな家族、中身が何もない。
全てが夢であって欲しい。
本当は何もなかったんだ。
そしたら、誰も、傷付かない。

そんな事を考えた瞬間、自分が自分じゃなくなるような、でも幽体離脱とは違う、不思議な感覚に陥った。
そして、心療内科でもらっていた薬を、次から次へと飲んでいった。わけもわからず。
それから、はっきりと意識が戻るのは、翌日の病院のベッドの上だった。
なんとなくは覚えている。
私が倒れてから、新作が家を出て行った事。いつの間にか母が来た事。救急車が来た事。病院で処置をされ苦しかった事。

少しずつ、なんとなく、思い出す。

付き添いで病院に泊まっていた母に子供達はどこか、と聞く。
新作の実家だと知る。
今日は学校だったのに、また、最低な母親だ。私なんて、やっぱりいなくなった方がいい。母親失格。家族も崩壊。
全ては私がこんなだからいけないんだ。
それから、搬送された病院に来ている精神科の先生と面談をした。

通っている心療内科の先生と違って、優しく、暖かく、話を聞いてくれた。

久しぶりに涙が溢れ出した。

「あなたの病気はね、絶対に治るから!絶対によくなるから!私の病院の患者さんであなたみたいな症状だったら、私は最低でも3日に一度は受診して貰ってます。それくらい放っておいていい状態じゃないんです。ずっと苦しかったのに、誰にも分かって貰えなくて、辛かったですね。苦しかったですね。」

その言葉は、今でもはっきり覚えてる。

そして、両親と先生が別室で面談をしたようで、先生と、その病院と、両親の間では、搬送された総合病院とは別の精神科病院にこのまま入院させるという話になっていたらしい。

が、結局、その病院のベッドの空きが調整出来ずに入院不可。となり、帰宅する事になる。
私はこの時聞かされていなかったが、後に見る事になるカルテには、
うつ病(反応性)
と書いてあった。
そしてこの出来事が、決定打になる。

うつ病がアメリカ人に大人気

過去記事です。  前回からの続きです。 私はここで「夫の不調や、
ネガティブ全開に対しての
苛立ちがありません」と書いています。 実際、そうでしたが。苛立ちはなかったかもしれないけれど私の心身はそれなりに堪えていたことをこの2年後だったかな?彼の寛解によって知ります。 「もう薬を飲まなくていい」と主治医に言われたと夫から聞かされた時に私は大泣きするのです。自分で意外でした。 泣くほど堪えていたとは思っていませんでした。  ただ、私自身が鬱の波に呑み込まれないように引きずられないように自分を律したりコントロールしたり上手く逃げたりはしていました。  日常は日常として続いていますから当然毎日、レンにコテンパンにやられている最中でしたし  今思えば、よくあの時期を修羅場化せずに乗り越えられたものだと思います。   ※Kちゃんへ承認しないとコメント欄に返事が出来ないからここに書くね。来年は桜を見なければいい。目を逸らすことはできるよ。深呼吸しようか。心療内科も悪くないよ。安定剤だしてもらうだけで少し安心できるかもしれない。しっかり眠ることと、食べること。できなくても意識してやってね。ゆっくり休める夜が一日でも多くありますように。  ————————- 
うつの夫に対して優しいと
お褒めをいただいたりもしています。
優しいと思います。私。
まるで私じゃないみたいです。
夫の不調や、
ネガティブ全開に対しての
苛立ちがありません。
でも、それは
夫が私に感謝もしてくれ、
うつ病患者なりには、
気も遣ってくれている部分に助けられてもいるから
できているのではないかと思います。
どちらが先かは、鶏と卵。
でも、これらの、
彼や病気への理解は、
私という人間が優しいからというのではなくて、
私の母にかかるところが大きいでしょう。

私の母は
重篤なうつ病患者でした。

昨年末の彼をもってしても
あれは初期であり、
とても軽度だと感じるほどの重篤な。

どこまでを初期、軽度と言っていいかは
分かりませんが。
母の状態を見ているので
そう感じます。
夫をサポートしながら、
私はよく、あの状態の母を
放っておけたものだと、
自分が信じられない気持ちになります。
そして母が
どんなに孤独で苦しかったのだろうと、
思いを馳せてしまいそうになります。
ここを深く追求するのは避けますが。

当時、私は、
現実から目を背けていました。

私は弱い人間だったと思うけど、
闘病中の妹を抱えて、
あの頃、それ以上のキャパは到底なかったし。
その意味で、
「仕方がなかったんだ」と思います。
「仕方がなかったんだ」と自分に言い聞かせ、
過度には自分を責めないように
気をつけています。

あまり、考えません。
話したこと、ありましたか。
「考えてもしょうがないことを
考えていてもバカになる」そうです。
本にそう書いてあり、
物凄く腑に落ちました。
だからあまり考えません。まだ。
母のおかげで
夫を早めに
病院に連れて行くことができましたし、
夫も受診してくれました。
今日の夫は、
「地獄の会議」がある日なので、
今頃は「針の山」を登らされているか、
「釜茹で」にされていることでしょう。
ともあれ、今日が終われば、
今月の最難関は通りすぎることになります。
ちなみに、うつを発症した昨年は、
関東地区で彼の部署は、
全体で最下位でした。

で、今年は3位とのこと。

報奨金も出ました。
上手くいきませんね。

今年の彼はうつ病中なので
そんなものがあったからって
「地獄の会議」は
「地獄」のままだそうです。
朝から、身支度をしながら、
私の側にきては
「うつ病だぁ~。うつ病だぁ~」と
暗く呟いている夫。

あまりに頻度が多いので
可笑しくなって笑ったら、

「ひどい。笑ったっ!」

小声で非難されたので

「え? 本気で言ってたの?」
「本気だよ」
「笑わせようと思って言ってるのかと思った」
「思ってないよ」
あらあら。
それは失礼。
「ごめん、ごめん。
思わず呟いちゃうの?」

「あー、おれはやっぱりうつ病なんだなあ、
って自覚してんの」

だそうです。
今夜は彼の夕飯不要です。
少し、楽になって帰ってこれるといいね。
さて、今日のレンちゃんはお利口です。
ずっと歌い続けている鼻歌は相当にうるさいですが、
学校の宿題も塾の宿題も、明日の準備も終え!
(算数なかったし!)

なぜなら同じマンションのお友だち
Mちゃんが遊びにきてくれるから!

Mちゃんのママ、Hちゃんは私の友人でもあり、
このHちゃんと打ち合わせてのことです。
…先ほど来てくれました。
レンちゃん、ご機嫌炸裂です。
これなら穏やかな夜になるところ。
しかし油断は禁物、禁物。
 
 
  画像by pastel frower さん ーーーーーーーーーランキングに参加しています。励みになるのでどうぞ以下のバナークリックを押していただければ嬉しいです。 よければこちらもお願いします。 ツイッターやっています。よかったらこちらにも気軽に声かけてください。 大したことは呟いてもいませんが。 シェリナナTwitter 


うつ病 関連ツイート

うつ病診断できます。
https://t.co/cglRHvK4fp
はぁ。この仕事辞めたい。結構長いこと働いてるけど職場が異動になってからパワハラセクハラモラハラでうつ病。辞めたいけどお金ないからしがみついてる自分が恥ずかしい。
AIもうつ病になる?人間と同じように思考するAIは将来的に心を病む可能性がある(国際シンポジウム) – BIGLOBEニュース https://t.co/rnO4ke8QUA https://t.co/rDYFxxgdXM